美濃国大野郡下座倉村(現在の岐阜県揖斐郡大野町)で、父・重兵衛の子として生まれる。幼名は松太郎。生家は、綿花、藍、茶商を生業とし、屋号は棉屋と称した。寺子屋で学び、11歳のころには父に従い商売に出る。
1881年(明治14年)、28歳の時に大阪で綿糸商を営むが、一旦郷里に引き上げる。1893年(明治26年)再度上阪し、尼崎紡績に入社した。1894年(明治27年)には副支配人に抜擢され、1901年(明治34年)取締役に就任した。1908年(明治41年)東洋紡織を合併し、綿布の製造を始める。後に東京紡績、日本紡績、摂津紡績を合併し、1918年(大正7年)大日本紡績(現在のユニチカ)と改称した。その後、日本絹毛紡績を合併し、鹿児島紡績を買収する。1924年(大正13年)、相談役に就任した。同時に日本貯蓄銀行相談役なども兼任した。