百済宮

From Wikipedia, the free encyclopedia

百済宮(くだらのみや)は、舒明天皇が営んだ

舒明天皇11年(639年)、舒明天皇が田中宮から新しく遷都するときにこの宮に決定した。『日本書紀』の同年七月条には「今年、大宮及び大寺を造作(つく)らしむ」「則ち百済川の側(ほとり)を以て宮処とす」とある。この宮もこれまでと同様に奈良県にあり、現在の桜井市吉備池廃寺跡あたりにあったと考えられている。

都であった期間は2年であるが舒明天皇はこの宮に遷都したあと崩御するまで一生この地に住み続け、641年10月9日に同地で崩御した。

参考文献

脚注

関連項目

Related Articles

Wikiwand AI