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真水英夫

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真水 英夫(まみず ひでお、1865年 - 1938年)は埼玉県出身の建築家。旧帝国図書館を設計したことで知られる。夏目漱石が東大予備門時代の仲間で作った十人会の一人[1]。

来歴

埼玉県士族・齋藤歲寧[2]の二男[注釈 1]。1865年8月29日(慶応元年7月9日)武蔵国に生まれ、第一高等中学校を経て[注釈 2]1892年(明治25年)7月に東京帝国大学工科大学の建築科を卒業[6]。卒業前年の1891年夏には、同期生の伊東忠太[7][8]らと共に各地の古い建築物を訪ねる見学旅行を行った[注釈 3]。1887年(明治20年)3月に東京の真水こよの養子となり、1894年(明治27年)3月家督を相続。三菱に務めた後、文部省に入り建築課の技師として腕を振るった[10]。

1911年頃の上野帝国図書館を撮影した写真。
帝国図書館(1911年頃)

1897年(明治30年)4月には帝国図書館官制が公布され、上野公園内に新館の建設が決まる。英夫はアメリカへ派遣されて現地の図書館を視察。帰国後は久留正道技師監督の下で設計を担当した。1898年(明治31年)1月着工。アメリカでの調査結果を取り入れ、当初予定されていた構造から大幅に変更[注釈 4]となった為により多額の費用が必要となったが、財政難もあって予算増額は認められなかった[11]。英夫は建設途中の1902(明治35)年7月に辞任。同年2月に妻の実家が運営する順天堂医院の改築工事が着工。英夫はその工事長を務めている[13]。1906年(明治39年)2月、8ヶ年計画で建設が進んでいた上野の図書館が竣工。3月20日に帝国図書館新館として開館式が行われた[注釈 5]。その後は外務省の嘱託技師や清国政府の顧問も務め[3]、1909年竣工の在北京日本公使館も設計監督した[15]。

在北京日本公使館

1912年(明治45年)6月、東京市本郷区(後の東京都文京区)に「真水工務所」を設立。岡崎平三郎[16]や西村好時なども一時在籍した[17]。工務所は大正年間に西巣鴨町池袋へ移転[18]。後述する建築物を手掛けたほか、英夫は阪川牛乳商店[注釈 6]の取締役[20]やルナパーク株式会社の監査役[21][22]、女子美術大学の理事[23]なども務める。位階は従六位、默堂と號した[24]。1938年(昭和13年)死去[25]。英夫は民間としては日本最初の建築雑誌「建築」も創刊している[14][26]。

主な作品

家族・親族

  • さだ(妻)- 順天堂医院院長・佐藤進男爵の養女。1875年3月生まれ[35][注釈 9]。
  • 静江(長女)- 1899年11月生まれ。東京帝大工学部出身の新谷良作に嫁いだ[37]。
  • 俊一(長男)- 1901年2月生まれ。
  • 齋藤豊四郎(実弟)- 丸善工場長。1875年5月、後の埼玉県川越市で齋藤歲寧の四男として生まれる[38]。

脚注

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