矢吹光頼 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代 - 安土桃山時代生誕 不明死没 不明官位 薩摩守 凡例矢吹光頼時代 戦国時代 - 安土桃山時代生誕 不明死没 不明官位 薩摩守主君 石川昭光→伊達氏氏族 矢吹氏父母 父:矢吹行重兄弟 光頼、野内光房テンプレートを表示 矢吹 光頼(やぶき みつより)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。陸奥石川氏の家臣。 矢吹行重の子として誕生。矢吹氏は陸奥石川氏の一門で袖ヶ城を居城とした。 光頼は石川昭光の家老を務めたといわれる。天正5年(1577年)4月、石川氏の一族・浅川義純が佐竹氏に反逆するが失敗し、居城の浅川城を追われたため、浅川城は昭光に預けられ、城代として光頼が入った。天正10年(1582年)頃には浅川義純・豊純父子が浅川城に復帰している。 天正17年(1589年)10月の伊達政宗による二階堂氏攻略の際には、石川昭光と共に須賀川城攻めに協力し、落城後は昭光が須賀川城主となり、城代として光頼が須賀川城に入城した。 天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐が起こると、その後の奥州仕置により、主家の石川氏は改易とされ、矢吹氏は伊達氏に従って角田へ移ったという。 Related Articles