矢宮神社
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所在地
和歌山県和歌山市関戸1丁目5-27
位置
北緯34度11分55.9秒 東経135度10分1秒 / 北緯34.198861度 東経135.16694度座標: 北緯34度11分55.9秒 東経135度10分1秒 / 北緯34.198861度 東経135.16694度
主祭神
賀茂建角身之命
社格等
郷社
| 矢宮神社 | |
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| 所在地 | 和歌山県和歌山市関戸1丁目5-27 |
| 位置 | 北緯34度11分55.9秒 東経135度10分1秒 / 北緯34.198861度 東経135.16694度座標: 北緯34度11分55.9秒 東経135度10分1秒 / 北緯34.198861度 東経135.16694度 |
| 主祭神 | 賀茂建角身之命 |
| 社格等 | 郷社 |
| 創建 | 推古天皇時代 |
| 例祭 | 10月13日 |
賀茂建津之身命(八咫烏命)
由緒
矢宮神社は天正5年(1577年)に発生した、織田信長による雑賀攻めの兵火により、社殿や古文書等を焼失してしまったため、それ以前の由緒は不詳であるが、口伝によると第33代推古天皇の治世に、賀茂建津之身命の後裔と伝えられ、現在も神職を務める矢田部氏の上祖が、賀茂建津之身命が神武天皇東征の途中に陣を構え、賊将名草戸畔を討ったという地を選び定めて祭祀を始めたのが、創建の由緒である。
以来、雑賀荘の産土神として崇敬を集め、社地も五町参段六畝拾弐歩を有したという。
織田信長による雑賀攻めで社殿を喪失したが、江戸時代に入って徳川頼宣が紀州藩主になると、寛永14年(1637年)に再興され、以来明治維新にいたるまで、紀州藩主からの崇敬も篤く、社殿の復興が続いた。
江戸末期には、神札の年間頒布数は4万体を数えたといい、例祭においては、流鏑馬、神輿の御渡、奉納競馬なども催されていたらしい。
縁起
主な祭礼
- 10月13日 例大祭
