石見王

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石見王(石見大王)[要読み仮名]は、飛鳥時代前後に存在したとされる日本の皇族である。

日本書紀』などの史料に断片的に名が見えるものの、生涯の詳細については不明な点が多い。

石見王の名の由来については、主に二つの説がある。

一つ目は、現在の島根県西部にあたる石見国に所領や支持基盤を有していたことに由来するとする説である。

二つ目は、政争や謀反の嫌疑により、同地へ配流されたことに由来するという説である。古代においては、皇族や天皇家の血筋を引く人物が政争に関与した場合、死罪ではなく地方への配流とされる例も見られ、後鳥羽上皇が承久の乱(1221年)後に隠岐(島根県)へ配流された事例などが知られている。

また、石見王が島根県へ配流された結果、石見国、石見神楽、石見銀山などの名称の由来になったとする説もあるが、これらについては学術的に確証されたものではない。

ただし、石見王が実際に配流されたかどうかについては、史料上明確ではない。

史料上の記録

石見王は主に『日本書紀』に登場し、天武天皇紀において、政争や謀反の嫌疑に関係した人物として記されている。記述は簡略であり、具体的な行動や経緯についての詳細は伝わっていない。

系譜

  • :磯部王
  • :安倍内親王
  • :高階峯緒

このほかの子の存在については、史料上確認されていない。

天武天皇との関係

最期

歴史的評価

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