1829年12月18日(文政12年11月23日)に上野国の池端村に生まれる。
1843年(天保14年)十五歳で青梨子村(現在の青梨子町)の桜井邦造源儀信から天神真楊流を数年学ぶ。また、桜井邦造の師である天神真楊流の祖磯又右衛門に入門し五年間修業した。
1849年(嘉永2年)道場を設け天神真楊流を教授した。
1861年(文久元年)に武州鷺宮の柔術家橋本道龍斎と試合して勝ち名声を得た。
門人は二千人を数え、免許皆伝は六人、目録は三十人いた。
高弟の一人である田子信重は、柔術の技を以て海江田信義に知られ警視庁柔術師範(警視庁武術世話掛)となった。