神祇不拝
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神をたてない、拝まないということである。『教行信証』での教えでの概念である。そこでは他の道にそれてはならない、天を拝んではならない、死者の霊を祀ってはならない、占いや暦を視てはならないとされている[1]。
親鸞が得度をして仏門に入ったときの比叡山延暦寺は本来とは異質な方向に向かっていた。学問としては現世の生活とは無関係で、祈祷は奈良仏教と同様に現世に傾注するなど世俗化していた。親鸞が問題視したのは社会の上層部の人々による加持祈祷に明け暮れていたこと。このため親鸞は生死の迷いを離れる道を求める日々となる。そして比叡山は名利の場であり、修行の場ではないと絶望する。それから夢告を得て法然を訪れて一筋の光を得る。だが親鸞は時の権力者により法然と共に流罪に処される。親鸞は39歳で赦免になり、63歳で京都に帰る。それから執筆活動を行い、それの集大成が『教行信証』であり、そこに神祇不拝のことが述べられている[2]。
神祇不拝は、苦悩している状態からなんとしてでも抜け出そうとする発想で神や仏を拝むということを徹底的に否定する。苦悩の元というのは無知であるとして、苦悩そのものは存在しないとする。苦悩とは我執を肯定するために生まれているとする。病気や死が苦悩であるのはこれらそのものが苦悩ではなく、生への我執から苦悩を招いているとする。人々は大きな力や目に見えない力を借りて苦悩を祓おうとしているとする。神頼みや仏頼みの流行など。対して親鸞の教えとは、拝むことによって苦悩を払うのではなく、拝むことによって苦悩の実態を知ったり病根を掴み出すなどということであった。人間の頭でいくら考えても分からないことが、拝むことにより仏の光に照らされて分かれるようになるということであった[2]。