稲岡大介
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川西市立牧の台小学校、春日井市立石尾台小学校(転校)、川西市立牧の台小学校(転校)、川西市立東谷中学校、兵庫県立川西緑台高等学校を経て大阪スクールオブミュージック専門学校へ進学。
生い立ち
音楽家の家系に生まれ、自身も幼少よりピアノを始める。父の転勤により小学校1年生の後半、愛知県春日井市へ転居。転居後に名門、堀内久世(名古屋フィルハーモニー交響楽団ピアニスト)音楽教室へ入門。ピアノ、音楽理論、作曲法を学ぶ。当時の目標はクラシックのピアニストだったが久石譲の作品に憧れ、徐々に作曲家を目指すようになる。
高校生の時にシンセサイザー(YAMAHA W5)を購入後、デスクトップミュージック(DTM)を始めるも電子音楽に特に興味が無く、これまで培った音楽理論や作曲法を駆使して高校生の時から交響曲を書いていた。
本格的にプロの作曲家を目指し音楽大学、芸術大学の進学を考えるも学びたいカリキュラムを勉強出来る学校が見つからず途方にくれる。探し抜いた先、大阪スクールオブミュージック専門学校へ進学を決める。和声学、オーケストレーション、コンピュータ音楽等を学ぶ。当時電子音楽ブームの折で、同級生の殆どがそれらの曲作りを目指す中、自身は前述通り交響曲ばかり書いていた為、異端児的な存在だった。専門学校1年生の終わりに作曲した作品が『人と自然のふれあいフェスタ2000in長野』のテーマ曲に採用された事により、作曲家として音楽事務所と契約を交わし、学生とプロ活動を並行していた。