第3ウクライナ戦線
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第3ウクライナ戦線(だいさんウクライナせんせん、ロシア語: 3-й Украинский фронт)は、第二次世界大戦中のソビエト連邦赤軍の戦線であり、複数の軍を指揮下に置く作戦・戦略級の統合部隊である。1943年10月16日付のソ連軍最高総司令部命令に基づき、1943年10月20日に南西戦線より改称された。1945年5月29日付のソ連軍最高総司令部命令に基づき、1945年6月15日に解散した。
戦歴
1943年10月から11月にかけて、第3ウクライナ戦線はドニエプル川の戦いにおいてドニエブロペトロフスクを解放し、ドニエプル川の西側50~60キロメートルに進出した。その後、クリヴォイ・ログ方面で活動し、ザポロージェの南に、第2ウクライナ戦線とともに橋頭保を確保した。
右岸ウクライナ解放のため、第3ウクライナ戦線は第4ウクライナ戦線と連携し、ニーカポリ=クリヴォイ・ログ攻勢作戦を実施しイングレーツ川に到達し、1944年3月から4月にかけて、そこからニコラーエフ・オデッサ方面への攻勢を展開した。同戦線は、黒海艦隊と連携し、ウクライナ南部およびモルダヴィア・ソビエト社会主義共和国の大部分を解放し、ドニエストル川に到達し、対岸に橋頭堡を構築した。
1944年8月、第3ウクライナ戦線は第2ウクライナ戦線と連携してヤッシー=キシニョフ攻勢を実施した。その結果ルーマニアでは、政変がおきて、枢軸側から連合側へ立場を変えることになった。
1944年9月、第3ウクライナ戦線はブルガリアに進軍し、月末までに同国を解放した。
1944年9月28日から10月20日にかけて、第3ウクライナ戦線はベオグラード作戦を実施し、ユーゴスラビアの首都ベオグラードとセルビアの大部分を解放した。
1944年10月から1945年2月にかけて、第3ウクライナ戦線はブダペスト攻勢に参加し、部隊はドナウ川を強行渡河し西岸に橋頭保を確立した。1945年1月に同戦線はブダペスト包囲の解囲を図る敵軍の反撃を撃退し、3月の春の目覚め作戦のドイツ軍の反攻も撃退した。同戦線は休むことなくウィーン攻勢に参加し、ハンガリーとオーストリア東部から敵を駆逐し、オーストリアの首都ウィーンを解放した。同戦線はオーストリア西部を解放すると、5月8日から10日にかけて、アメリカ軍およびイギリス軍と合流した。5月12日までに同戦線は、アメリカ軍側に逃げようとしていたドイツ軍の降伏を受け入れた。その後、5月24日まで、同戦線は地域の掃討を実施した。
1945年6月10日、1945年5月29日付の最高司令部命令に基づき、第3ウクライナ戦線は解体され、戦線野戦司令部は南部軍集団司令部へと編組された。
編制
1944年12月時点の編制。
- 第8親衛軍
- 第5打撃軍
- 第6軍
- 第28軍
- 第37軍
- 第46軍
- 第57軍
- 第17航空軍
- 第23戦車軍団
- 第2親衛機械化軍団
- 第4親衛機械化軍団
- 第4親衛騎兵軍団
- 第2重ポンツーン架橋連隊
- 第22自動車旅団
- ブルガリア第1軍
第3ウクライナ戦線の編制には、狙撃師団57個と騎兵師団3個が含まれていた。戦線の総兵力は50万人、火砲と迫撃砲は7,184門、戦車と自走砲は573両、航空機は593機であった。
司令部
歴代指揮官
- ラディオーン・ヤーコヴレヴィチ・マリノフスキー 1943年10月20日から1944年5月15日
- フョードル・イヴァーナヴィチ・タルブーヒン 1944年5月15日から1945年6月10日