京都市立紫竹小学校

京都府京都市にある小学校 From Wikipedia, the free encyclopedia

京都市立紫竹小学校(きょうとしりつしちくしょうがっこう)は、京都市北区紫竹下園生町26に所在する公立小学校

過去の名称 紫竹国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 京都市
設立年月日 1941年4月1日[1]
概要 京都市立紫竹小学校, 過去の名称 ...
京都市立紫竹小学校
北緯35度03分12.8秒 東経135度45分02.0秒
過去の名称 紫竹国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 京都市
設立年月日 1941年4月1日[1]
共学・別学 男女共学
学校コード B126210000108 ウィキデータを編集
所在地 603-8222
京都府京都市北区紫竹下園生町26
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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沿革

著名な出身者

通学区域

通学区域は紫竹学区の区域である[4]

卒業後の進路

卒業後は基本的に京都市立加茂川中学校に進学する[4]

紫竹学区

紫竹学区(しちくがっく)は、京都市学区(元学区)のひとつ。京都市北区に位置する。紫竹小学校の通学区域を範囲とする、京都市の地域自治の単位となっている。

明治22年(1889年)東紫竹大門村と西賀茂村が合併して成立した大宮村は、 大正7年(1918年)に村域の一部(御土居の南側)が京都市上京区(当時)に編入され[5]、編入された旧大宮村の区域は上京第33学区となり、待鳳小学校の通学区域とされた。(なお、大宮村の残余部は、のちの昭和6年(1931年)に京都市に編入され、大宮尋常高等小学校(現在の大宮小学校)の通学区域となる大宮学区となった[6]。)

上京区第33学区は、昭和4年(1929年)に、学区名が小学校名に改称されることにより、待鳳学区となった[7]。学区内には、大正14年(1925年)に第二待鳳小(のちに校名を紫野に改称)、昭和6年(1931年)に第三待鳳小(のちに校名を鳳徳に改称)、昭和14年(1939年)に第四待鳳小(のちに校名を柏野に改称)が創立された[8][9][注釈 1]

昭和16年(1941年)に国民学校令の施行により学区の根拠が失われ[10](京都市の学区そのものは昭和17年(1942年)に廃止[11])、昭和16年6月に国民学校の通学区域を単位とする町内会連合会が発足[10]。待鳳学区の区域内に紫竹国民学校の通学区域を単位として紫竹町内会連合会が設置され[12]、戦後のポツダム政令[13]による解体ののち、住民自治の単位である現在の紫竹学区となった。

紫竹学区は昭和30年(1955年)9月、上京区から分区して成立した北区に位置することになった。

地理

紫竹学区は、西側が待鳳学区、北側が大宮学区上賀茂学区、東側が元町学区、南側が鳳徳学区と接する[14]。区域は、ほぼ全域が紫竹を冠称する町の一部から構成される。面積は0.587平方キロメートルである[注釈 2]

人口・世帯数

京都市内では、概ね元学区を単位として国勢統計区が設定されており[15]、紫竹学区の区域に設定されている国勢統計区(北区第2国勢統計区[注釈 3])における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は3,364人、6,655世帯である。

紫竹学区の町名

  • 紫竹桃ノ本町
  • 紫竹東桃ノ本町
  • 紫竹下園生町
  • 紫竹上竹殿町
  • 紫竹下竹殿町
  • 紫竹上園生町
  • 紫竹上堀川町
  • 紫竹上芝本町
  • 紫竹下芝本町
  • 紫竹上緑町
  • 紫竹下本町
  • 紫竹上本町
  • 紫竹上梅ノ木町
  • 紫竹下高才町
  • 紫竹上高才町
  • 紫竹下ノ岸町
  • 紫竹上長目町
  • 紫竹下長目町
  • 紫竹上ノ岸町
  • 紫竹大門町
  • 紫竹東大門町
  • 紫竹西大門町
  • 紫竹北大門町
  • 紫竹竹殿町
  • 小山上初音町[町 1]
  • 紫竹下緑町[町 1]
  1. 町域の一部が紫竹学区にあたる。

周辺

通学区域が隣接している学校

脚注

参考文献

関連文献

関連項目

外部リンク

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