Wikiwand AI

細川持元

From Wikipedia, the free encyclopedia

細川 持元(ほそかわ もちもと)は、室町時代前期の守護大名。摂津国・丹波国・讃岐国・土佐国守護。通称は五郎。官位は右馬助、右京大夫。細川京兆家9代当主。

時代 室町時代前期
生誕 応永6年(1399年)
改名 聡明丸(幼名)、持元
概要 凡例細川持元, 時代 ...
 
細川持元
時代 室町時代前期
生誕 応永6年(1399年)
死没 正長2年7月14日(1429年8月14日)
改名 聡明丸(幼名)、持元
別名 五郎(通称)
戒名 性智院殿玉峰道秀
官位 右馬助、右京大夫
幕府 室町幕府 摂津、丹波、讃岐、土佐守護
主君 足利義量
氏族 細川京兆家
父母 父:細川満元
兄弟 持元、持之、持賢
テンプレートを表示
閉じる

略歴

細川満元の嫡男として誕生。幼名は聡明丸。持之、持賢の兄。

元服に際して4代将軍・足利義持より偏諱を受け、持元に改名。

応永33年(1426年)10月、父の死去に伴い細川京兆家の家督を継いだ。

応永34年(1427年)9月21日、播磨の守護大名・赤松義則が死去すると、跡継ぎとして嫡男・満祐が継ぐ筈だった。

しかし、満祐は足利義持に必死に訴えるも聞き入れられなかったため、怒りのあまり自邸を焼き払い、播磨に帰国した。

義持は激怒し、持元と一色義貫の話し合いの結果、満祐討伐を断念した。

正長2年(1429年)に31歳で死去した。法名は性智院殿玉峰道秀。嗣子は無く、家督は次弟・持之が継いだ。

参考文献

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks