細谷資芳
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- 1890年(明治33)10月8日東京(現・東京都港区六本木)にて、海軍少将細谷資氏の三男として生まれる。 母艶子は松代藩士横田数馬の三女。次女は『富岡日記』を著した和田英。
- 1913年(大正2)3月31日東京府麻布小学校卒
- 1918年(大正7)3月31日東京府立第一中学校卒
- 1921年(大正10)7月16日海軍兵学校卒 第49期
- 1924年(大正13)12月1日海軍中尉
- 1926年(大正15)年10月25日 白須儀子と結婚(乃木希典大将の妹小笠原キネの孫)

細谷資芳夫妻 - 1926年(大正15)12月1日海軍大尉
- 1930年(昭和5)7月18日長男資倫出生
- 1932年(昭和7)12月1日海軍少佐
- 1933年(昭和8)5月20日海軍大学甲種学生卒業
- 1934年(昭和9)5月15日フランス駐在武官補佐官発令。補佐官は家族帯同許されず、単身赴任。
- 1934年(昭和9)6月14日神戸発榛名丸でパリ駐在
- 1936年(昭和11)9月5日帰朝命令
- 1936年(昭和11)11月10日付のフランス商船省の政令により、フランス共和国大統領は細谷中佐(コルベット艦長)在パリ日本大使館付き副海軍武官に対し、海事功労勲章シュヴァリエ章(騎士章)を授与。

細谷資芳-仏国海事功労勲章シュヴァリエ章(騎士章) - 1936年(昭和11)12月1日帰国。連合艦隊参謀着任
- 1937年(昭和12)8月第二次上海事変(米内光政海軍大臣による事変発表に立ち会う(報道映像)

米内光政海軍大臣による第二次上海事変発表(左:細谷資芳参謀) - 1937年(昭和12)12月1日海軍中佐
- 1938年(昭和13)5月「支那事変と帝国海軍」を上梓。鉄道大臣官房保険課
- 1938年(昭和13)12月15日第五水雷戦隊参謀。南支作戦の功により功四級金鵄勲章を拝受
- 1939年(昭和14)12月1日フランス国大使館付武官発令
- 1940年(昭和15)2月1日東京発伏見丸でパリ駐在。当初家族帯同予定も、ドイツ軍によるポーランド侵攻等欧州情勢不穏のため、まず資芳が訪欧し、状況を見たうえで家族出発の可否を指示
- 1940年(昭和15)4月23日資芳より家族へ直ぐに欧州へ出発するよう電報あり、奥方の儀子は6月出航の日本郵船箱根丸(地中海航路)の乗船準備を進める
- 1940年(昭和15)5月31日資芳より家族へドイツ軍がパリに接近しているため、戦争が落ち着くまでしばらく待つようにとの電報あり。
- 1941年(昭和16)6月11日イタリアの宣戦布告により、地中海航路の箱根丸は出港停止。資芳と海軍一行はパリを脱出し、Bordeaux方面へ避難。 ドイツ軍進駐後、一時パリに戻る。フランス政府の移動に伴い、Vichyに駐在。 資芳よりドイツ軍のフランス占領後、家族へ情勢が安定したのでVichyに来るよう指示。 儀子が6月末出航のバイカル丸(シベリア経由)で発つべく。旅券も入手し、出発準備。
- 1941年(昭和16)6月22日独ソ戦勃発で出発取りやめ。以後資芳と家族の連絡途絶える。 交信は年1-2度の外務省クーリエが資芳からの手紙を持参するのみ。 妻儀子は度重なる渡航準備、取りやめの以降、病床に伏す事多し。(心臓病)
- 1942年(昭和17年)5月27日海軍記念日に海軍事務所で婦女子を含めパリ在住邦人を招待し、園遊会を開催。子供を含めた家族ぐるみのパーティー(運動会やゲーム)を行っていたのは海軍事務所のみで子供たちは毎年この日を楽しみにしていたとの事。(海軍事務所の白亜の建物は元ロッシーニの邸宅であった)

細谷資芳海軍武官-パリレストラン - 1942年(昭和17年)11月1日海軍大佐

ドイツ海軍総司令官Karl Donitzと細谷武官 - 1943年(昭和18年)8月31日早朝、遣独伊連絡使 伊号第八潜水艦フランスブレスト入港。艦長内野信二大佐は資芳と同期。同日ドイツクランケ大将一行による歓迎会が開催される。

伊号第八潜水艦一行とドイツ将校(細谷海軍武官:右) 
伊号第八潜水艦フランスブレスト入港3(左:細谷海軍武官) - 1943年(昭和18年)9月2日伊号第八潜水艦乗組員は2班に分かれ、2泊3日パリ見学。
- 1943年(昭和18年)10月5日15時30分 伊号第八潜水艦フランスブレスト出航、帰国の途に就く。伊8潜水艦は魚雷艇用ディーゼルエンジン、電波短信機、兵器、医療用薬品等を持ち帰る。
- 1943年(昭和18年)10月27日アセンション島の英軍による爆雷攻撃を受ける。
- 1943年(昭和18年)11月21日妻儀子脳血栓で倒れ、半身不随となる。
- 1943年(昭和18年)12月5日伊8潜水艦でシンガポール島セレター軍港に到着。横井少将以下14名の便乗者は全員退艦し、空路で帰国、
- 1943年(昭和18年)12月10日午前中に海軍省より家族へ細谷大佐が遅くとも20日までに帰朝との知らせあり。夕刻7時半に突然資芳帰宅。儀子が心臓発作を起こさぬようい配慮される。
- 1943年(昭和18年)12月21日 伊8潜水艦呉に到着。遣独潜水艦は5隻派遣されるが、この第二回遣独潜水艦のみが日独往復航路の任務を果たせた。
- 1943年(昭和18年)12月28日軍令部三部八課長・大本営参謀。同日妻儀子、父資氏危篤状態となる。
- 1944年(昭和19年)1月2日早朝 父資氏逝去(87歳、海兵5期、海軍少将)
- 1944年(昭和19年)1月4日資氏の葬儀を資芳が執り行い、夜10時に帰宅
- 1944年(昭和19年)1月5日早朝2時50分儀子が逝去。儀子は資芳に抱かれて静かに息を引き取る 享年37歳
- 1944年(昭和19年)1月7日儀子葬儀
- 1944年(昭和19年)7月18日資芳は坪井淑子と再婚
- 1944年(昭和19年)9月12日資芳の兄 資彦 東支那海にて戦死。第一海上護衛隊運行指揮官として勝鬨丸に乗船(47歳 海兵47期、海軍少将) 資芳の兄 和田盛一 フィリピンにて戦死。(司政長官)
- 1945年(昭和20年)3月末打ち合わせのため、北浦航空隊を訪問。「飛行機はみな下駄ばきなので「牛若隊」だな」と息子資倫に伝う。
- 1945年(昭和20年)4月1日北浦航空隊司令。
- 1945年(昭和20年)4月4日水上機要員養成の(茨城県)北浦航空隊司令として着任。

細谷資芳大佐北浦海軍航空隊司令名刺 - 1945年(昭和20年)4月23日北浦航空水偵隊は北浦空司令細谷大佐により悠心隊に命名。
- 1945年(昭和20年)4月25日詫間航空水偵隊が司令森敬吉大佐により水心隊と命名された時、北浦悠心隊は魁隊と改称される。その後特攻隊員と共に指宿に向け、詫間へ移動

北浦航空隊魁隊 - 1945年(昭和20年)4月28日全機指宿に出発、(細谷大佐も同行)
- 1945年(昭和20年)5月4日海軍所属第1魁隊は沖縄に特攻のため出撃
- 1945年(昭和20年)5月5日(香川県)詫間航空隊司令に着任。
- 1945年(昭和20年)5月8日北浦航空隊の魁隊の特攻を確認した後、報告のために飛行艇で上京する際、遠州灘か関東上空でアメリカ軍の攻撃を受け、戦死。(享年45歳、海軍少将)
- 1945年(昭和20年)5月11日 海軍所属第2魁隊出撃日
- 1945年(昭和20年)5月20日海軍大臣島田繁太郎大将と副官が自宅を訪問し、「5月8日父上搭乗の飛行機が行方不明になり、亡くなられた」と伝える。その後「昭和20年9月27日付で海軍少将細谷資芳どの 名誉の戦死を慎みて弔意を表す 海軍大臣米内光正」の通達が届く。
- 1945年(昭和20年)7月14日後妻淑子逝去
- 1945年(昭和20年)長男細谷 資倫15歳 学徒動員埼玉で終戦を迎える
- 1946年(昭和21年)5月8日細谷資芳葬儀(一周忌)細谷の墓は東京都台東区の谷中霊園にある。
人物・逸話・書籍
- 1940独軍侵攻でパリを邦人と共に脱出、ボルドー方面逃避行(日記)
- 在仏時の「厳しい状況に於いて、相互扶助をモットー」とし、飢餓状態の在留邦人の保護、生命の危機に面した外国人を支援
- 在留芸術家との交流・支援を実施。(諏訪根自子、牧嗣人、藤田嗣治、高野三三男、萩須高徳
- フランス陸軍病院(ドイツ敵側)に入院されていたカンド神父に無名で花を贈るなどしていた。
- フランスから帰国後、子息資倫に度々「戦争は止めなければならない、しかしその機会がない」とため息をつきつつ語っていた。1938年(昭和13)5月「支那事変と帝国海軍」を上梓。鉄道大臣官房保険課。当時の限られた情報収集・通信インフラの環境下、適格な世界情勢分析がまとめられている。

細谷資芳上梓「支那事変と帝国海軍」 - 1944年(昭和19年)8月から9月にかけて『在留邦人のパリ脱出の記録』
- 子息資倫は長らく資芳の戦死詳細は不明であった。2001年5月に乃木希典大将ゆかりの隠岐の島の神社を参拝した際に知り合った小室様の義兄が20年4月に沖縄戦で戦死されたとの話があり、北浦・詫間航空司令であった資芳が5月に戦死したとの話をした所、同じ詫間に所属されていた山木様、大久保様を紹介頂く。その結果、1945年(昭和20)の詫間航空隊司令着任、指宿移動、特攻報告のために飛行艇で上京した経緯を知ることが出来、戦後が一区切りとなる。実母の縁者乃木将軍のご縁による。
関連書籍
- 大日本帝国海軍軍人一覧
- 『海軍兵学校出身者(生徒)』発行者:海軍兵学校出身者(生徒)名簿作成委員会、1987年10月20日 第三版(改訂版)Pg142
- 鈴木健二『在外武官物語』芙蓉書房、1979年3月20日 Pg205
- 大堀聡『第二次世界大戦下の欧州邦人(フランス編)』
- 吉村昭「深海の使者」
- 敵中突破五万四〇〇〇キロ : 遣独潜水艦伊8のブレスト訪問記 MIYANAGA, Takashi / 宮永, 孝
- 戦後60年誌「詫間海軍航空隊物語、付第十一海軍航空廠詫間工場」詫間海軍航空隊記録編纂委員会










