緑営
From Wikipedia, the free encyclopedia
起源
変遷
強大な軍事力を誇った八旗は、時代が下るにつれ次第に貴族化し、弱体化した。それに伴って清朝は緑営の軍事力を重要視し、三藩の乱では既に40万人の緑営を鎮圧に参加させており、緑営は清朝の軍事力の中核を占めるようになった。三藩の乱の後も大小の作戦に従事していたが、太平の時代が長く続いたため、八旗のみならず緑営の内部においても腐敗化は進み、緑営を閲兵した乾隆帝はその堕落ぶりに苦言を呈したとされている。アヘン戦争と太平天国の乱の際には、緑営は既に戦闘能力を喪失しており、いたる所で敗北を喫し、両戦闘の初戦において清朝が劣勢に立たされた原因になった。清朝政府はこれを懸念し、新たに湘軍や淮軍、郷勇といった新興軍を重視し、同治年間より緑営の人数を漸次削減した。これによって清朝の軍事力の中核を占めていた緑営の重要性は徐々に下がっていた。光緒帝の百日維新の際、清朝政府は西洋式調練を施された新軍を国軍とすることを宣言し、これによって緑営は名実共に解体された。

