臨漳県
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歴史
春秋時代、斉により鄴城が築かれた。戦国時代には魏の陪都となる。秦が中国を統一すると邯鄲郡の郡治とされたが、前漢では魏郡の郡治とされ、鄴県が設置された。後漢になると213年(建安18年)に曹操が魏公に封じられ、この地を国都としている。
313年(建興元年)6月、西晋により臨漳県と改称された。ただし、この時期の臨漳県(鄴県)は石勒が実効支配しており、石勒側(後趙)は鄴県と呼び続け、冉魏でも同じだった。南北朝時代には東魏により鄴県と臨漳県を分割設置し、両県が並存するようになった。
1072年(熙寧5年)、宋朝は鄴県を廃止し、臨漳県に編入した。元末に廃止されたが、明朝が成立すると1368年(洪武元年)に再設置され現在に至る。
1949年、河南省より河北省に移管され現在に至る。
