草路城
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沿革
草路城の築城年代は定かでない。山城国の国人草内氏によって築城されたと考えられている。
「大乗院寺社雑事記」によると、文明14年(1482年)畠山義就方の山城打入りの計画を察した畠山政長は、これに対処するため草路城に遊佐長直兵庫助を大将とする軍勢を派遣した。しかし、義就勢が草路城を攻め落とし、数十人を切腹させた。
との記述があり、応仁・文明の乱後も南山城地域では東西両軍の対立は続き、文明14年に東軍の畠山政長が東軍諸勢を草路城へ集結させて西軍の畠山義就に備えたが、西軍に攻められ落城していることが分かる。
文明17年(1485年)の山城国一揆では、東軍の拠点となっていた。 しかし、同年12月11日に決起された国一揆により12月17日に両畠山氏は交渉の末、山城から撤退。
