荒木村重の娘として生まれる。
兄弟の荒木村次の子・村常が幼くして父を亡くしていたため育てた。京都に居住していた際に江戸幕府から大奥に召され表使となり荒木局と称されるようになった。
その後、大奥の女﨟・松山が自分の子・森川長左衛門を銀座の年寄にした事に連座し、正保1年5月10日(1644年6月14日)に上山藩土岐家のもとへ配流となった。村常も徳川家光に仕え500石を知行していたが熊本藩細川家に預けられた。
土岐頼行からは500石知行格として優遇されたという。
浄光寺に葬られた。戒名は蓮昌院殿知光大禅定婦。
荒木局に随行した者の多くが荒木氏を名乗り上山に土着した。
娘がおり上山に随行した中村文左衛門に嫁いだという。