菅大臣神社
日本の京都府の神社
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祭神
歴史
社地は今から約1000年前、菅原道真公の紅・白梅殿という邸宅や、また菅公生誕の地と伝えられ、境内には産湯の井戸が保存されている。仏光寺通を中心に南北二町、東西一町が当時の邸宅で、菅公が、大宰府へ左遷に当り
東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ
と詠んだ「飛梅の地」と伝えられる。
神社は道真公の薨去の後、間もなく創建されたが、度々、兵火にさらされ、鎌倉期には南北両社に分かれ、南社にあたる当社を天神御所または白梅殿社として呼ばれるようになり、北社を紅梅殿社(現在の北菅大臣神社)と分離した。応仁の乱後、慶長19年に菅家ゆかりの曼殊院宮良恕法親王(まんしゅいんのみや りょうじょほうしんのう)により再興され、今日に至っている。
この間、天明の大火、元治の兵乱で再度焼失するが、現本殿は、天保6年(1835年)造立の三間社流造という下鴨神社の旧殿を、明治2年に移築し、その後幣殿を建立して、いわゆる八棟造をなしている。
境内
境内社
現地情報
外部リンク
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