萩岡松韻 (初代)

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初代萩岡松韻(しょだい はぎおか しょういん、1864年 - 1936年)は、日本箏曲家。本名は萩原 伊之助で、のちに源意とも称した。山田流箏曲における萩岡派の初代宗家として知られる[1][2]

数え4歳で失明し、伊勢の大松検校について盲人社会に入った[1]1871年(明治4年)に萩岡姓を名のった[1]

箏曲は当初、山田流山勢系の馬場美勢に学び、その後1874年に三世山勢松韻の直門となった[1]1885年、松柯の芸名を授けられた[1]。師の没後は四世山勢福を助け、今井慶松とともに山勢派を代表し、のちに松韻を名のった[1][3]

1887年以来、東京盲唖学校(現在の筑波大学附属視覚特別支援学校)に勤務し、のちに勅任教授となった[1]。盲学校派の総帥として久本玄智斎藤松声山川園松らを育てた[1]

業績

箏曲楽成会、徳華会などを主宰し、鑑賞本位の演奏会を開くとともに、楽譜の出版にも尽力した[1]。また、《俊寛》(1901年)、《鞆の音》(1914年)など十数曲を作曲した[1]

後進の育成にも大きな役割を果たし、佐薙岡豊らの経歴にも初代萩岡松韻への師事が確認できる[4][5]

家系

長男の萩原信通が二代萩岡松韻を襲名した[1]。その後、名跡は三代・四代へ継承されている[1][2]

脚注

参考文献

関連項目

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