蕉風俳諧
松尾芭蕉およびその門流の信奉する俳風
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概要
貞門俳諧、談林俳諧と続く史的な流れの中で、言い捨ての俳諧から天地有情の事情を不易流行の詩美へと転換し、それを追求したところに蕉風の特徴がある[2]。
蕉風の成立期は、延宝末年から天和期にかけての深川草庵での「貧にしてなお一人侘ぶ」世界に共鳴した者が参集し始めた貞享期とされる[2]。芭蕉生前の蕉風は『虚栗』『冬の日』の気概高致な風狂の文学、『ひさご』『猿蓑』の景情融合・姿情兼備の円熟した境地、『すみだはら』『続猿蓑』のさらりとした平淡な「かるみ」の俳風と変遷していった[1]。
18世紀後半に入ると「芭蕉に帰れ」を合い言葉とする俳諧復興運動が展開され、与謝蕪村・久村暁台らのように浪漫的・脱俗的俳風が創出されたが、厳密に言えば蕉風そのものではなかった[1]。その後も蕉風の名は依然として重んじられ、芭蕉は偶像として崇拝もされたが、明治になり正岡子規による俳諧革新運動の洗礼を受け、それまでの蕉風俳諧とはまた別の近代俳句として生まれ変わった[1]。
