蜂須賀宗英
日本の侍 (1684-1743)
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生涯
蜂須賀隆喜(第2代藩主・蜂須賀忠英の五男)の三男。幼名は勘次郎、初名は隆泰(たかやす)。号は潜外、通称は宮内。はじめは中老や家老として藩政に参画していたが、若くして隠居し京都などに住んだ。
享保20年(1735年)6月10日、蜂須賀宗員の死去に際し末期養子となり、52歳で徳島藩第7代藩主となった。同年8月15日、将軍・徳川吉宗に御目見した。同年12月11日、従四位下・阿波守に叙任した。後に侍従に任官した。同日、徳川吉宗の偏諱を受けて宗英(「英」は祖父・忠英の1字を取ったもの)と改名した。
元文4年(1739年)12月22日、隠居し、養子宗鎮に家督を譲る。隠居後は潜外と号した。
蜂須賀宗英と清浄華院
系譜
参考文献
- 『蜂須賀家記』