蟻通勘吾 From Wikipedia, the free encyclopedia 蟻通 勘吾(ありどおし かんご、天保10年(1839年)- 明治2年5月11日(1869年6月20日))は、新選組隊士。 讃岐国高松出身。愛刀は播磨住昭重。 旧暦文久3年6月頃(1863年)、新選組に入隊。元治元年6月5日(1864年)の池田屋事件では井上源三郎の六番隊に属して報奨金17両を、慶応2年9月12日(1866年)の三条制札事件では三番組に属し報奨金千疋を受け取っている。慶応3年12月7日(1868年1月1日)の天満屋事件では原田左之助隊に属し、斎藤一・大石鍬次郎らと共に紀州藩公用人三浦休太郎らの護衛にあたった。 慶応3年(1867年)の幕臣御取立ての儀に際して平士として見廻組並御雇の格を受ける。 戊辰戦争では会津戦争の緒戦である白河口の戦いに参戦、慶応4年5月1日(1868年)の新政府軍による反撃戦で重傷を負った。その後、土方歳三に従い蝦夷へ渡り、箱館戦争に身を投じたが、明治2年5月11日(1869年6月20日)、箱館山の攻防戦で戦死した。享年31。遺体は函館の大円寺に埋葬されたとされる。 新選組創設期から所属した古参隊士でありながら、終始平隊士の地位であった。 Related Articles