裴迪 From Wikipedia, the free encyclopedia 裴 迪(はい てき、生没年不詳)は、唐末から五代十国時代にかけての官僚。字は昇之。本貫は絳州聞喜県。 財務に精通しており、簿書を能くしたため、検校司空の裴璩の下で度支巡官となった。汴宋鄆等州供軍院使・租庸使を歴任した。 朱全忠が宣武軍節度使となると、裴迪は宣武軍節度判官となった。裴迪は兵賦徴調を管掌し、朱全忠自身は兵を統括するのみで、財政や獄訴は全て裴迪が管轄した。 天復元年(901年)、朱全忠が鳳翔節度使の李茂貞を征討した際、その隙に平盧節度使の王師範が汴州を襲おうとしたが、その密謀を事前に暴かれた。その後に太常寺卿となった。 後梁が建てられると、右僕射に任じられた。司空として致仕した。 伝記資料 『新五代史』巻43 Related Articles