西方仁也
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7歳からジャンプを始め、中学3年時全国中学スキー選手権大会を制するなど早くから頭角を現した。高校一年までは複合の選手だったがその後ジャンプに専念。1994年リレハンメルオリンピックに長野県出身としては二人目のジャンプ代表として出場した。団体では合計得点254.4で、日本チームでは岡部孝信に次ぐ二番目、全選手では四番目の高さだった。
身長180cmと日本人ジャンパーとしては大柄な選手であったが、146%ルールで板が大幅に長くなったことを味方にすることが出来ず、腰痛で日本代表から外れた1997年以降は代表に返り咲くことはなかった。1998年地元での長野オリンピックではテストジャンパーの一員として競技運営をサポートした。2001年3月24日の伊藤杯シーズンファイナル大倉山ナイタージャンプ大会を最後に現役を引退した。
現在は東京での社業の傍ら札幌ジャンプ少年団のコーチを務め、息子の慎護らジャンパーの卵たちの育成に当たっている。実家は野沢温泉村で民宿を経営している。