観智院 (京都市)
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東寺の塔頭であるが、同時に東寺真言宗の別格本山ともなっている当院は、東寺北大門を出て平安時代以来そのままの幅で残っている京都市内ただひとつの小路である櫛笥(くしげ)小路を少し北に進んだ右側に位置している。
鎌倉時代に後宇多法皇によって東寺の寺僧の住房が計画されると、南北朝時代の延文4年(1359年)もしくは延文3年(1358年)に学僧であった杲宝によって東寺の子院として創建された。杲宝は現在国宝となっている「東宝記」という東寺の創建から室町時代に至る寺史をまとめた人物である。これは弟子の賢宝により補足完成された。他にも杲宝と賢宝は密教の聖教類を1万5千件以上も収集し、その保存を図っている。
また、賢宝は永和2年(1378年)に山科の安祥寺・上寺を訪れた際に、五大堂が台風で倒壊してそこで祀られていた恵運が唐の長安・青龍寺より請来したという五大虚空蔵菩薩像(重要文化財)が破砕して泥土にまみれているのを見つけ、引き取って修理して当院の本尊としている。
江戸時代には当院は東寺のみならず真言宗全体の勧学院と位置づけられ、多くの学僧を輩出した。経蔵である金剛蔵には膨大な文書・典籍・聖教類が所蔵されていたが、現在は東寺宝物館に移されている。