若くして勇敢で、騎射を得意とした。後周の広順元年(951年)、道左で太祖郭威の謁見を受けて、その武芸を披露した。郭威は惟忠を気に入って部下に留め置いた。柴栄の幕下に属したが、供奉官に任じられると断らずに入朝した。柴栄はこのことを怒って、即位すると惟忠を任用しなかった。
宋が建国されると、儀鸞副使に任じられ、易州知州をつとめ、北辺で功績を挙げた。まもなく正使に進んだ。開宝2年(969年)、趙匡胤が北漢に対して親征すると、惟忠は忻州刺史となり、易定祁等州都巡検使を兼ねた。戦場で流れ矢に当たって負傷した。開宝6年(973年)、破傷風のため死去した。