賢誓寺

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所在地 岐阜県下呂市萩原町宮田1958
位置 北緯35度55分31.7秒 東経137度14分15.9秒 / 北緯35.925472度 東経137.237750度 / 35.925472; 137.237750座標: 北緯35度55分31.7秒 東経137度14分15.9秒 / 北緯35.925472度 東経137.237750度 / 35.925472; 137.237750
山号 光明山
宗派 浄土真宗大谷派
 賢誓寺
所在地 岐阜県下呂市萩原町宮田1958
位置 北緯35度55分31.7秒 東経137度14分15.9秒 / 北緯35.925472度 東経137.237750度 / 35.925472; 137.237750座標: 北緯35度55分31.7秒 東経137度14分15.9秒 / 北緯35.925472度 東経137.237750度 / 35.925472; 137.237750
山号 光明山
宗派 浄土真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 正和3年(1314年)
開山 覚淳
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賢誓寺(げんせいじ)は岐阜県下呂市萩原町にある阿弥陀如来を本尊とする浄土真宗大谷派の寺院。山号は光明山。

正和3年(1314年)に覚如上人に帰依した願智坊覚淳が落合村に庵を結んだのを端緒とする。正和4年に領主の江馬左衛門介の次男江馬輝秀が淳正を名乗り2世となった。5世住持の正玄は蓮如上人から本尊と空正の法名を与えられた。大永3年(1523年)、実如上人から賢誓寺の寺号を賜り、本願寺派の聞名寺の下に入った。元禄9年(1696年)、火災に遭い本堂と庫裏並びに本尊を失い、現在の福応寺のある場所に移転した。正徳3年(1713年)、15世の了善が大谷派になり、信徒の約一割は了善と共に大谷派に転派したが、本願寺派に残った信徒のために後に福応寺が設けられた。天保3年(1832年)、再び火災に見舞われるが本尊は住職の了澄により守られた。昭和6年(1931年)に賢誓寺が現在地に移るまでは福応寺に隣接していた。

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