車善七
From Wikipedia, the free encyclopedia
概要
寛文6年(1666年)以降は、江戸の新吉原の隣接地に移され、900坪の土地に広大な住居を構えていた。配下の非人小屋は300軒を超え、小屋が持つ勧進場からの収入で生活を営んだ。江戸の非人頭は他に品川松右衛門、深川善三郎、代々木久兵衛がいたが、その中で最も勢力を誇っていた。
また、病囚等の保護を行う浅草溜の管理を任されていた。
穢多(えた)頭(=長吏頭)矢野弾左衛門との間には、配下の雑芸民の管轄や生業に関わる権益などで何度も訴訟が起きた。しかし、享保6年(1721年)から7年(1722年)に訴訟に破れると、長吏頭の配下という地位が確定し、幕末に至った。
明治4年(1871年)の解放令によって非人自体が廃止され、非人頭としての地位を失い、その後「長谷部善七」と改名した。