辻密太郎
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播磨国加西郡在田村字中富(現・兵庫県加西市中富町にて、辻退蔵と阿以(愛子)の長男として生まれる。 1874年姫路病院で医療伝道者ベリーから聖書について学び、1878年に大阪英学校に入学し、11月11日浪花教会で澤山保羅(パウロ)により洗礼を受けた。その後1881年に同志社英学校三年に編入学した後、江州彦根年堂派遣を振り出しに、岡山県高梁教会、熊本県熊本教会などに派遣された。 1888年大阪島之内教会で按手礼を受け牧師になった後、三重県津市での伝道、群馬県甘楽教会・高崎教会での牧会を経て、熊本県大牟田教会牧師に就任するなど、日本国内各地で伝道に当たった後ハワイや米国カリフォルニア州・ユタ州の各地で牧会、伝道にあたった。(杉井六郎『遊行する牧者-辻密太郎の生涯』〈教文館〉、1985年9月16日)
1897年(明治30年)にアメリカン・ボードが九州伝道を中止すると、上代知新らとハワイ伝道に赴き、オアフ島カカアコ日本人教会を創設する。
なお、最初の妻、仙(せん)は、同志社女学校(現同志社女子大学)の第一回(1882年(明治15年)6月)卒業生であった(上記、甘楽教会での布教を助ける中で男子出産後急逝)。続いて迎えた妻、新(新子、志ん)は仙の妹であったが、新も同志社女学校の卒業生(第六回(1888年6月))であった。