辻密太郎

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辻 密太郎(つじ みつたろう、1860年12月28日万延元年11月17日) - 1945年昭和20年)12月21日)は、明治時代から昭和時代初期にかけて活動した日本組合基督教会牧師

播磨国加西郡在田村字中富(現・兵庫県加西市中富町にて、辻退蔵と阿以(愛子)の長男として生まれる。 1874年姫路病院で医療伝道者ベリーから聖書について学び、1878年大阪英学校に入学し、11月11日浪花教会澤山保羅(パウロ)により洗礼を受けた。その後1881年同志社英学校三年に編入学した後、江州彦根年堂派遣を振り出しに、岡山県高梁教会熊本県熊本教会などに派遣された。 1888年大阪島之内教会按手礼を受け牧師になった後、三重県津市での伝道、群馬県甘楽教会高崎教会での牧会を経て、熊本県大牟田教会牧師に就任するなど、日本国内各地で伝道に当たった後ハワイや米国カリフォルニア州ユタ州の各地で牧会、伝道にあたった。(杉井六郎『遊行する牧者-辻密太郎の生涯』〈教文館〉、1985年9月16日)

1897年(明治30年)にアメリカン・ボードが九州伝道を中止すると、上代知新らとハワイ伝道に赴き、オアフ島カカアコ日本人教会を創設する。

なお、最初の妻、仙(せん)は、同志社女学校(現同志社女子大学)の第一回(1882年(明治15年)6月)卒業生であった(上記、甘楽教会での布教を助ける中で男子出産後急逝)。続いて迎えた妻、新(新子、志ん)は仙の妹であったが、新も同志社女学校の卒業生(第六回(1888年6月))であった。

著作

脚注

参考文献

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