進士 中国の科挙最高位 From Wikipedia, the free encyclopedia 進士(しんし)とは、隋から北宋中期にかけての科挙の六科の一つ。王安石の改革で進士科以外が廃止された後は、科挙の登第者(合格者)を指し、以降の南宋から清まで続いた制度である。 繁体字 進士 簡体字 进士 漢語拼音jìnshì注音符号ㄐㄧㄣˋ ㄕˋ概要 中国語, 繁体字 ...進士明代の官僚王瓊進士服姿中国語繁体字 進士 簡体字 进士 発音記号標準中国語漢語拼音jìnshì注音符号ㄐㄧㄣˋ ㄕˋ日本語漢字 進士 Transcriptionsローマ字 shinshi朝鮮語ハングル진사 漢字進士 発音記号RR式jinsaMR式jinsaベトナム語クオック・グーtiến sĩチュハン進士満洲語満洲文字 ᡩᠣᠰᡳᡴᠠᠰᡳ メレンドルフdosikasi閉じる 進士科 隋代の初めに科挙が開始されたが、605年に進士科が設けられた。隋・唐の時代は進士科と明経科で試験が別になっていた。明経科では儒学の知識と時務策のみであったが、進士科ではこれに詩賦が加わった。 進士科は試験が最も難しく、1回に採られる人数は2~30人と明経科の十分の一であったため、最も重んじられ、地位は他の科よりも高かった。「明経科は30歳でも年寄り、進士科は50歳でも若い方」という言葉はいかに進士科が難関であったかを示している。 王安石の改革以後 宋の科挙制度も開始時は進士・明経その他の科が設けられていたが、王安石の改革で明経などの諸科が廃止されて、進士科一科となった。元で科挙が開始された時も進士科のみで、明・清もそれを受け継いだ。そのため科挙の登第者のことを進士と称するようになった。 明清では殿試で選ばれた登第者は三甲に分けられた。一甲は状元・榜眼・探花の3名で「進士及第」と称し、二甲は若干名(清では一般に40-50名)で「進士出身」と称し、それ以外の三甲(清では一般に100-300名)は「同進士出身」と称した。世間の人々はそれらをまとめて進士と呼んだのである。 関連項目 進士 (日本) 漢字文化圏 この項目は、中国の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:中国/P:歴史/P:歴史学/PJ中国史)。表示編集 Related Articles