道助入道親王 後鳥羽天皇の皇子、仁和寺御室 From Wikipedia, the free encyclopedia 道助入道親王(どうじょにゅうどうしんのう、建久7年10月16日(1196年11月7日)- 宝治3年1月15日(1249年2月28日))は、鎌倉時代前期の入道親王。父は後鳥羽天皇、母は坊門信清の娘。名は長仁。 続柄 後鳥羽天皇第二皇子全名 長仁称号 高野御室、光台院御室身位 親王概要 道助入道親王, 続柄 ...道助入道親王続柄 後鳥羽天皇第二皇子 全名 長仁称号 高野御室、光台院御室身位 親王敬称 殿下出生 建久7年10月16日(1196年11月7日)死去 宝治3年1月15日(1249年2月28日)(享年54)父親 後鳥羽天皇母親 坊門信清女役職 仁和寺第8世門跡テンプレートを表示閉じる 略歴 Summarize Timeline Fact Check 正治元年(1199年)、親王宣下を受けた。建永元年(1206年)、仁和寺の道法法親王を師として出家・受戒し、建暦2年(1212年)に伝法灌頂を受けた。道法法親王の没後、建保2年(1214年)に仁和寺第8代門跡を継いだ。父後鳥羽上皇のために承久の乱の際には祈祷を行い、敗れて隠岐に流されることになった父院が出家する際にはその戒師をつとめた。乱での処罰を免れたものの、鎌倉幕府の意向によって後堀河天皇の実兄である道深法親王に仁和寺を譲ることとなり、36歳で高野山に隠遁した。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。表示編集 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles