若くして、任侠を好み、多くの人物と交際があったという。
至正12年(1352年)、郭子興は数千人を集結し濠州地方で自立し、朱元璋の人物を見込んで重用し、その際に麾下の朱元璋を軍功ありとして十夫長に任用し、その養女の婿に迎えている。
郭子興は南下する元軍を撃退するなどの活躍をするが、その陣営内では幹部の孫徳崖(中国語版)・趙均用(中国語版)らによる内訌が絶えず、そのため勢力を大きく拡大することができなかった。
1355年に滁州で病没した。婿の朱元璋がその勢力を継承し、明の建国に大きな影響を与えた。
1370年に婿の朱元璋によって滁陽王を追贈されている。
郭子興の長男は戦死し、次男の郭天叙・三男の郭天爵は禍を恐れた朱元璋によって、謀殺されたといわれる。娘の郭恵妃は朱元璋の側室となり、蜀献王朱椿・代簡王朱桂・谷王朱橞らを産んだ。