金子神社祭礼
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由来と起源
祭礼
祭礼の起源については不明であるが、寛政3年(1791年)6月に代官所に提出した『村鑑明細帳』(むらかがみめいさいちょう)には「林山畑の間、牛頭天王の社一ヶ所御座候(ござそうろう)、毎年六月十五日御料、私領(ごりょう、しりょう)の百姓ども寄り合い、少々奉り掴まり申し候」と記され、寛政年間には、既に金子郷西三ツ木村の村民により祭礼が行われていたことがわかる。また当時「牛頭天王」は天王様と称され、村人に「天王様の祭礼」として尊ばれていた。天保年間から明治期にかけて盛大に行われ、祭礼の日にちは明治初期までは毎年6月15日、明治初期から昭和中期までは毎年7月20、25日、昭和中期から昭和後期にかけては毎年5月1日と推移しながら行われていた。
神輿
金子神社には、古くから伝わる神輿があるものの制作時期は不明である。平成21年3月に神輿の老朽化に伴い製作後、初の大修復を行い今日に至っている。
山車
祭礼で曳きまわされる山車は2基あり、どちらの山車でも「西三ツ木ばやし」が演奏される。現在の大山車は明治中期に笹井地区(現在の狭山市笹井)より購入し、車輪を蓮花院(入間市春日町)で借用した。昭和初期から中期にかけては居囃子となり山車の車輪を取り外し基礎の部分に大型の臼を置いた。昭和40年代に土台部分のみトラックのシャーシーに造り替え、現在に至っている。小山車はヤグラと呼ばれ元々は村の若い衆が担ぐ「担ぎヤグラ」と称されていた。現在のヤグラは昭和40年代に新たに製作され、シャシーは鉄骨作りでその上にヤグラが組まれている。

祭礼時に使用する幟
西三ツ木地区に伝わる幟で、最古のものには『「獻素盞鳴尊」(すさのうのみことにけんず)天保13年寅年(1842年)6月15日金子郷三ツ木村氏子中』と書かれている。