金重業 From Wikipedia, the free encyclopedia 生誕 (1922-03-09) 1922年3月9日 日本統治下朝鮮 平安南道平壌死没 1988年5月11日(1988-05-11)(66歳没) 韓国 ソウル特別市職業 建築家金重業 生誕 (1922-03-09) 1922年3月9日 日本統治下朝鮮 平安南道平壌死没 1988年5月11日(1988-05-11)(66歳没) 韓国 ソウル特別市職業 建築家テンプレートを表示 金 重業(キム・ジュンオプ、ハングル: 김중업; ハンチャ: 金重業、1922年3月9日 - 1988年5月11日)は、大韓民国の建築家である。 1922年3月9日誕生[1]。本貫は延安金氏(朝鮮語版)。父は金永弼、母は李英子であり、5男2女の家族の次男として生まれた。父は郡守であり、幼少期は江東・中和・成川などを転々とした[2]。平壌の高校を卒業したのち横浜高等工業学校(現・横浜国立大学工学部)にて中村順平に師事し、ボザール様式建築を学んだ[1][3]。1941年に同校を卒業したのち[4]、松田平田設計にて3年勤務した[1]。1944年に帰国したのち、朝鮮住宅営団(朝鮮語版)、朝鮮飛行機製作株式会社などを経て、1947年にはソウル大学校の助教授となった[2]。 1952年、UNESCOがヴェネツィアにて主催した第一回国際芸術家会議に韓国代表のひとりとして参加し、同地にてル・コルビュジエと知り合う。その後、コルビュジエ事務所にて3年間勤務する[1]。1956年、韓国に帰国し金重業建築事務所を開業する[3]。この時期、駐韓フランス大使館(朝鮮語版)(1960年)、済州大学校本館(1964年)などを設計する[1]。韓国政府の建築・都市政策を批判したため出国を余儀なくされ、1971年にはパリに渡る。その後、アメリカに移住し、ロードアイランド大学(英語版)にて教鞭をとる。1978年に帰国し、世界平和の門(朝鮮語版)(1987年)などを設計する[1]。1988年5月11日死去[3]。 参考文献 1 2 3 4 5 6 Jung, Inha (2013-07-31). Architecture and Urbanism in Modern Korea. Spatial Habitus: Making and Meaning in Asia's Architecture (Illustrated ed.). University of Hawaii Press. p. 146. ISBN 978-0-8248-3585-9 1 2 이상해. “김중업” (朝鮮語). 韓国民族文化大百科事典. 韓国学中央研究院. 2026年4月16日閲覧。 1 2 3 李御寧 編『韓国 : 韓国のプロになる185のポイント』セルネート出版〈コンパクト国別シリーズ ; 2〉、1988年6月、227頁。doi:10.11501/13128450。ISBN 4-915685-04-7。 ↑ “안양박물관ㆍ김중업건축박물관” (朝鮮語). ayac.or.kr. 안양박물관. 2026年4月16日閲覧。 Related Articles