近衛八郎 日本の歌手 (1913-1995) From Wikipedia, the free encyclopedia 近衛 八郎(このえ はちろう、1913年〈大正2年〉11月16日 - 1995年〈平成7年〉)は昭和期の歌手、作曲家。本名は、釜田 俊雄[1]。妻は、戦前キングレコードで活躍したミッキー松山こと松山映子(1912年‐2006年)。 『男なら』の宣伝ポスター(画面右から林伊佐緒、近衛八郎、樋口静雄) 経歴 新潟県佐渡郡沢根町(佐和田町を経て現在の佐渡市)出身[2][3]。佐渡中学校、武蔵野音楽学校卒業[2][4]。1936年(昭和11年)キングレコードから「あの夢この夢」でデビュー[2]。「ああ我が戦友」や「男なら (軍歌)」などがヒット。その後応召により出征する[5]。 戦後は作曲に転向し、鎌多俊与の名で作曲家として活躍[6]。1956年(昭和31年)、三橋美智也の「哀愁列車」が大ヒットとなった[6]。その他、若原一郎「風の吹きよで」、春日八郎「玄海船乗り」、「居酒屋」、三橋美智也「俺ら炭鉱夫」などを作曲した。 脚注 [1]『音楽年鑑 昭和12年度』1940年。doi:10.11501/1244901。https://doi.org/10.11501/1244901。2025年7月12日閲覧。 [2]『レコード音楽技芸家銘鑑 昭和15年版』1940年。doi:10.11501/1056525。https://doi.org/10.11501/1056525。2025年7月12日閲覧。 [3]『新潟県年鑑 昭和19年版』1945年。doi:10.11501/1461390。https://doi.org/10.11501/1461390。2025年7月12日閲覧。 [4]『ワンダー・グラフ』1936年。doi:10.11501/1110968。https://doi.org/10.11501/1110968。2025年7月12日閲覧。 [5]『歌手生活うらおもて』1947年。doi:10.11501/2456797。https://doi.org/10.11501/2456797。2025年7月12日閲覧。 [6]『音盤歌謡史』1975年。doi:10.11501/12438512。https://doi.org/10.11501/12438512。2025年7月12日閲覧。 関連項目 軍歌この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。表示編集 Related Articles~TimelinesTop QsFact Checks