陶隆弘 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代生誕 不詳死没 天文20年8月28日(1551年9月28日)別名 中務 凡例陶隆弘時代 戦国時代生誕 不詳死没 天文20年8月28日(1551年9月28日)別名 中務墓所 山口県長門市深川湯本の大寧寺官位 中務少輔主君 大内義隆氏族 多々良姓大内氏庶流陶氏父母 父:陶隆康兄弟 隆弘、宇野元弘テンプレートを表示 陶 隆弘(すえ たかひろ)は、戦国時代の武将。大内氏家臣。陶氏の一族。父は陶隆康。弟に宇野元弘。 陶隆康の子として生まれ、大内義隆に仕える。 天文20年(1551年)、一族の陶隆房(後の陶晴賢)ら、大内氏の武断派はついに反乱を起こし、隆房は主君・義隆を討つべく居城の富田若山城から兵を進めた。隆弘は父に従い主君・義隆を守るべく護衛についた。 陶隆房の侵攻を知った義隆は大内氏館・築山館を出て、多少でも防戦に有利な山麓の法泉寺に退いて防備を固めたが、法泉寺の義隆軍は逃亡兵が相次いだことから、義隆は山口を放棄して長門国に逃亡。同年8月28日に隆康は嫡男・隆弘と共に法泉寺において殿を務め戦死した。 関連項目 大寧寺の変 Related Articles