国見山 (高知県)
高知県高知市にある山
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概要
「四国山地」は、高知県、愛媛県、徳島県にまたがる大きな山地であるが、その南縁部は高知平野の近くまで達している [2] 。
この「国見山」(雪光山)は、四国山地の南部に位置しており、高知市の中心部にも近い位置にある [注釈 2] 。その為、高知市内の高台などからも、山頂部が三角形をしたその特徴的な姿が望める [1] 。
この山の山頂部には、三等三角点がある。三角点の公式名称は「国見山」、標高値は、925.91m(2024年12月測定)となっている [4] 。
この山は標高が1000mに満たない山ではあるが、三角形をしたその頂上部が目立つこともあり、古くから周辺の人々の信仰の対象となっていて、霊峰として崇められていた、という。山頂部には、「大国主命」(おおくにぬしのみこと)、「国見権現」、「妙見菩薩」が祭られているとされているが、このうち「大国主命」のみがはっきりした「恵比寿 大黒様」の姿をした石像として鎮座しており、残りの2つは小さな祠である [1] [3] 。
また春と秋には、山麓の「吉原地区」(よしわらちく) [注釈 3] の人々を主体に、山頂にて祭事が行われていた、という [1] 。
江戸時代までは、この山は「不入山」(いらずやま)とも呼ばれ、神聖な山であるからとして、ひと月のうち半分は入山禁止になっていた、という。また上記の「恵比寿 大黒様」の石仏は、江戸時代中頃に、現在の高知市に住んでいた材木屋が寄進したもの、という。[5]
更に古い時代になるが、四国のあちこちに伝わる「平家伝承」が、この山にもある。この山の西側山麓部を流れる「的淵川」(鏡川の上流にあたる)には、「平家の滝」という滝があるが [2] 、この滝の側にある「滝神社」は、「自然の霊魂の祟り」を鎮める役目に加え、「平家の落人を供養するためのもの」、という伝承もある [5] 。
・山名について
この「国見山」(くにみやま)という山名は、その名の通り山頂部からの展望が良く、国中が見渡せるほど眺めが良い、という意味から付いた名前だと推測されている [3] 。 同じような意味あいで、全国各地には数十もの「国見山」という名称の山がある [2] 。
四国内だけでも、地理院地図で確認すると、高知県 本山町に、標高 1089mの「国見山」があるほか、吉野川の中流部「大歩危峡」の東側にも、標高 1409mの「国見山」(徳島県 三好市)があり、それぞれ登山対象となっている [2] 。
一方で、この山の別名として「雪光山」(せっこうさん)とも呼ばれるが、その名称の由来は、冬季に山頂部が白く雪をかぶるので、その美しい姿からきている、という説がある [1] [6] 。
また別説としては、「この山の近くに「雪光谷」(せっこうだに)という谷があるから、山の名前も「雪光山」と言うようになった」、という説もあるが [3] 、「雪光山」という名称が先でそれを元に「雪光谷」という谷の名称が付いた可能性もあり、定かではない。[注釈 4]
登山ルート
地質
四国の地帯(地帯)構造区分のうち、四国山地南部にあたる、この「国見山」(雪光山)付近は、「ジュラ紀」の付加体を主な構成要素とする、「広義の秩父帯」[注釈 5] の分布域となっている [7] 。
「国見山」(雪光山)とその周辺の具体的な地質構成を見ると、かなり複雑な地質構成となっている。以下ではまず、「20万分の1 日本シームレス地質図」[8] に基づき、説明する。
まず「国見山」(雪光山)の山頂部とそれより北側は、「ジュラ紀」の付加体が分布している。具体的な地質体としては、「玄武岩」、「チャート」、「砂岩」および「メランジュ相」付加体が分布している。
そのうち山頂部は「チャート」と「玄武岩」からなり、特に「チャート」は、かつては火打ち石にも使われていて、金属製のロックハンマーで叩くと火花がでるほど、非常に硬い岩石である [9] 。
「国見山」(雪光山)山頂部のやや尖った特徴的な山容は、この「チャート」などの硬い岩石が浸食作用に対して抵抗性が強かったため、とも考えられる。
一方で、「国見山」(雪光山)の山頂より南側の地質構成を見てみると、山頂部から南に約1.5km離れたあたりに地質境界線があり、それより南側のゾーンは、色々な地質体からなる複雑なゾーンとなっている。具体的な地質体としては、「ペルム紀」の「メランジュ相」付加体のほか、「玄武岩」、「チャート」、「石灰岩」などの「ペルム紀」の付加体が分布している。
また「ジュラ紀」の付加体と、「ペルム紀」の付加体との間には、「トリアス紀」から「ジュラ紀」にかけて高圧型変成作用を受けた「泥質千枚岩」が、南北方向の幅で約0.5kmと、細長い帯状となって東西走向に分布している。
四国地方において、地理的地帯としての広義の「秩父帯」の中にはこのように、「ペルム紀」の付加体や、「トリアス紀」~「ジュラ紀」の変成岩が、しばしば認められている。その帰属については議論が多く、狭義の「秩父帯」の主体をなす「ジュラ紀」の付加体との関係もはっきりしていない [7] 。
ところで、国見山(雪光山)を含む地域について、2007年に、5万分の1スケールでの詳細な地質図 [10] と、その地質図を解説する「地質調査報告書」[11]がリリースされている。
先に説明した、「20万分の1 日本シームレス地質図」[8] に基づく地質構成の解説と比較すると、この「5万分の1(伊野地域)地質図」[10] およびそれに対応する「地質調査報告書」[11] の解説内容は、地質体の形成年代や分布域など解釈がやや異なるが、以下これらの詳細地質研究 [10] [11] に基づく解釈をまとめる。
まず、国見山(雪光山)の山頂部とそれより北側に分布している付加体群は、「秩父累帯北帯」(ちちぶるいたいほくたい)に帰属する「ジュラ紀」の付加体とし、ユニットレベルでは、「国見山ユニット」という名称が付けられている。
それより南側に東西に細長く分布している、「トリアス紀」~「ジュラ紀」に変成作用を受けた「泥質千枚岩」は、「新期伊野変成コンプレックス」(しんきいの へんせい こんぷれっくす)という地質グループ(新称)に属する、と位置付けている。
上記の「泥質千枚岩」分布域よりも南側に分布している付加体群は、年代判定の材料が少なく、「ペルム紀」の付加体の可能性も否定しない、としながらも、「秩父累帯北帯」に帰属する「ジュラ紀」の付加体と判断し、ユニットレベルでは「土佐山ユニット」に属する、としている。
一方で、地質学の専門書 [7] でも、「国見山」(雪光山)とその周辺の地質概念図が掲載されている。これによると、上記の「国見山ユニット」は、「ジュラ紀」の付加体とする点では他の文献、地質図と違いはないが、その南側の「土佐山ユニット」は、「ペルム紀」の付加体と位置付けられている。但し「土佐山ユニット」に関する詳しい説明がないので、はっきりしていない。
いずれにしろ、この「国見山」(雪光山)付近を含め、広義の「秩父帯」を構成している地質体群のうち、元々「秩父帯」の主要地質体と位置付けられていた「ジュラ紀」の付加体以外に、「ペルム紀」の付加体や「トリアス紀」~「ジュラ紀」の変成岩類の存在が明らかになってきてはいるが、それぞれの地質体の帰属や形成プロセス、またお互いの関係など、不明な点はかなり多い。

