霊寿 (烏雅氏)
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霊寿(リンシェウ、乾隆52年12月28日(1788年2月4日) - 道光4年(1824年))は、清朝の官僚であり、満洲正黄旗に属する烏雅氏(ウヤ氏)である。
曾祖父は吏部尚書の官保、祖父は凝徳、父は百禄である。母は側室の周氏で、「周夫人」と称された。霊寿は乾隆52年12月28日に生まれ、鑾儀衛の筆帖式や、議叙候選主事を歴任した。道光4年(1824年)に死去した。後に彼の娘である荘順皇貴妃の孫が皇帝光緒帝として即位したため、光緒16年正月22日、恩典により死後一品の封典が追贈された。
霊寿の嫡妻は鄂済特氏で、誥封により安人を授けられた。側室は翁氏で、同じく誥封により安人を授けられた。
その子の禧霖は翁安人の子であり、同族の三多の長子で騎都尉であった崇寿の養子として出された。 また継子の廷会(廷恵)は同治12年3月26日亥の刻に生まれ、のち恩典により騎都尉を授けられ、その爵位は世襲罔替とされた。
娘は道光帝の寵妃荘順皇貴妃であり、醇親王奕譞の生母である。また彼女は光緒帝および載灃の祖母、さらに溥儀の曾祖母にあたる。