二卵性双生児として誕生したが2000グラムの未熟児だった。
生まれつき体が弱く、それが逆に空手の道に入るいいきっかけとなった。
父親が空手の師範として指導に当たっていた関係もあり、体を鍛える意味で三歳の時に初めて道着に袖をとおす。
小学校三年から何度も全国大会優勝経験をしている。
小・中学は野球少年でホームラン賞を獲る程の強打者で有名高校からもスカウトされるほどだった。
体も大きく地元のガキ大将だった彼を変えたのが名門京都西高校空手部の尾之上幸照監督である。幾多の名選手を生み出した名匠のもと高校の三年間、地元堺を離れ下宿生活をおくる。高校三年間で数々の成績を残すが、気性の荒い性格が災いして失格になることもあった。