鞍馬楊心流
From Wikipedia, the free encyclopedia
鞍馬楊心流に伝わる伝書によると、楊心流の遠祖は鞍馬山僧正坊の弟子の鬼一法眼であるとしている。 鬼一法眼から牛若丸に相伝したが、その後中絶していたものを秋山四郎兵衛が鞍馬山の宝蔵から虎之巻八巻を得た後に諸国修行し鞍馬楊心流と称して再興したとされる。
『武芸流派大辞典』では「塩田甚太夫(初代)が楊心流と鈴木流を合わせて1780年(安永9年)に開いたが、系譜では楊心流開祖の秋山四郎兵衛を初代としている。」とされているが、当流の伝承では、塩田甚太夫が学んだ肥前の住人、中田彦左衛門がすでに鞍馬楊心流剣術と名乗っていたとされる。中田彦左衛門は疋田新陰流剣術、楊心流柔術、難波一甫流捕縄を学び、楊心流の鞍馬発祥の伝説より自らの流儀名を鞍馬楊心流としたと考えられる。塩田甚太夫は中田彦左衛門と彦左衛門の子、中田元随より鞍馬楊心流を学んだとされる。 鈴木流に関しては、昭和後期に行われた鞍馬楊心流先代宗家の鈴木流の古老たちへの聞き取り調査や研究により、鞍馬楊心流とほぼ関係が無い事が判明している。
戦後、鹿児島県警察の逮捕術に鞍馬楊心流の技法が一部採り入れられた。
長崎県西彼杵郡の昔話、たんたん岩の杢太郎に鞍馬揚心流が絞め技に長けた武術として登場する。地域的に考えて塩田甚太夫が学んだ鞍馬楊心流と同系統の流派の逸話である可能性がある。
系譜
技法
- 座捕
- 手搦、四門、片羽、夢枕、腰巻、無刀、睾突
- 飛天膳越、片羽の打付、入腰、状渡、引立
- 立捕
- 襟引、車轉、追駈、試手、行合、行合の打付、羽交
- 肘突、大腰右、大腰左、巻落右、巻落左、身砕、不追
- 居合
- 竹鞭剣、胴払、逆抜、柄留、柄取
- 三尺棒
- 素手棒、三切、睾蹴、矢筈、大腰右、巻棒、大腰左、巻棒、肩越
- 六尺棒
- 睾蹴、肩越、均棒、巻棒
- 小刀
- 剃刀、胴拂、睾突、竹鞭剣
- 捕繩
- 早繩、高手小手