音楽におけるユダヤ性
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「音楽におけるユダヤ性」(おんがくにおけるユダヤせい; 原題(ドイツ語):Das Judenthum in der Musik)は、1850年にドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーがK・フライゲダンク(K. Freigedank:フライゲダンクは「自由思想」の意)という変名で出版した論文。
内容と評価
内容はジャコモ・マイアベーアやフェリックス・メンデルスゾーンといったユダヤ人音楽家の功績に言及しながらも差別的な中傷が含まれており、ワーグナー自身はこの論文が社会的反響を呼ぶことを期待していたが、同誌は部数1200の弱小誌であり、反響はほとんど得られなかった。ただし、メンデルスゾーンの友人でピアニストのイグナーツ・モシェレスは編集部に抗議の手紙を送っている。フランツ・リストなどワーグナーの友人たちは、ワーグナーがなぜユダヤ人を攻撃したのか戸惑いを隠せなかった。
1869年には著者自身により大幅に加筆の上、実名で再出版された。この論文は長らく等閑視されていたが、今日ではドイツの反ユダヤ主義の歴史における一つの事件と位置付けられている。
ワーグナーと反ユダヤ主義
音楽に対するユダヤ人の影響力を激しく弾劾したにもかかわらず、ワーグナー自身は多数のユダヤ人と親交を結んでいた。たとえば、指揮者のヘルマン・レーヴィ、ピアニストのカール・タウジヒ、同じくヨーゼフ・ルービンシュタイン、音楽評論家ハインリヒ・ポルゲスなどである。さらに、ワーグナーが1865年から1870年にかけて書いた自伝の中では、1840年代初頭のパリでユダヤ人ザムエル・レールス(言語学者)と結んだ交遊を「わが人生における最も美しき友情の一つ」に数えている。
ワーグナーの継父ルートヴィヒ・ガイアー(一部に実父説もある)はユダヤ人だった可能性が疑われており、この点から、ワーグナーの反ユダヤ主義は一種の近親憎悪だったという説もある。