駿河次郎
平安時代末期の人物で源義経の郎党
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生涯
元は猟師だったという。初めは源頼朝の家臣だったが、治承4年(1180年)10月頃に源義経の郎党になる。その後、義経に従って宇治川の戦い・一ノ谷の戦い・屋島の戦い・壇ノ浦の戦いなどに参陣。平氏滅亡後、『源平盛衰記』では義経の命で捕虜となった平宗盛の子・副将を斬る。『義経記』では義経追討の院宣を受けて現れた刺客土佐坊昌俊らを撃退、後にこれを六条河原で斬首している。文治3年義経の庇護者であった藤原秀衡が没し、翌四年、泰衡は義経追討に踏み切った。義経は九州の菊池・原田・臼杵・緒方の各領主に出陣を促す廻状を弁慶に書かせ、それを届ける役をこの次郎に託した。次郎は京へ上り、筑紫に下ろうとしたところ、誰か密告したのか六波羅探題に召し捕られ関東へ護送された。
なお、駿河次郎の存在が書かれているのは『源平盛衰記』『義経記』『承久記』などの物語のみであり、同時代の史料や鎌倉幕府編纂の史書『吾妻鏡』などには見られない。