1987年(昭和62年)砥部町議会議員初当選、3期務めた後、砥部町長を1995年(平成7年)から2002年(平成14年)までの2期務めた。従六位旭日双光章受章。
町長2期目の途中、平成の合併に直面。住民アンケートによると隣接する県都松山市への編入が最多(35.2%、伊予郡広田村との合併は21.4%)であった結果に反し、砥部町の南に隣接する広田村との合併を進めようとしたため、町長解職及び町議会解散請求が起き、辞職。中村剛志との出直し選挙に破れた。なお、砥部町は中村町長のもとでの再びアンケートを実施したが、今回は広田村との合併が過半数を占め、結局、広田村との一町一村の合併の方針を決定、新設合併(対等合併)の結果、新・砥部町に移行した。