高梨朝定 From Wikipedia, the free encyclopedia 高梨 朝定(たかなし ともさだ)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての武士・御家人。 時代 平安時代末期 - 鎌倉時代生誕 不明死没 不明官位 左衛門尉概要 凡例高梨朝定, 時代 ... 凡例高梨朝定時代 平安時代末期 - 鎌倉時代生誕 不明死没 不明官位 左衛門尉幕府 鎌倉幕府主君 源頼朝氏族 高梨氏父母 父:高梨忠直妻 正室:保科太郎忠良娘子 朝明、忠保、為保、関山五郎室テンプレートを表示閉じる 略歴 高梨氏は清和源氏井上氏流の一族で、平安時代中期に信濃国北部に栄えた土豪である。 治承・寿永の乱において、父・高梨忠直は木曾義仲に従って討ち死にしたが、朝定自身は生き残った。建久年間(1190年頃)、源頼朝に参じて所領を安堵された。この頃は東条荘山田郷・北高梨周辺を支配していた。このとき、ほかの井上一族も共に鎌倉幕府へ参じている。 高梨氏は時代が降るにつれて領土を北方へと拡大していくが、その基礎は祖父である高梨判官忠光から朝定に至る過程で築かれたといえる。 Related Articles