5月18日、センゲリンチン軍は高楼寨に進んだが、捻軍は高楼寨以北の村落に兵を埋伏させていた。正午に任柱率いる捻軍が包囲して突撃したため、センゲリンチンは兵を三分してこれにあたらせた。翼長諾林丕勒、副都統トロムブ(托倫布)の騎兵隊と総兵陳国瑞・何建鰲の歩兵隊が西路、副都統成保・ウルトゥナスン(烏爾図那遜)の騎兵隊と総兵郭宝昌の歩兵隊が東路、副都統常星阿・温徳勒克西の騎兵隊が中路であった。張宗禹・頼文光・任柱も兵を三分して対抗した。捻軍の西路軍は敗退し、陳国瑞・何建鰲は勝ちに乗じて追撃したが、捻軍の中路の騎兵は常星阿を破り、西路軍とともに、陳国瑞・何建鰲を挟撃した。こうして20時までにセンゲリンチン軍は壊滅した。捻軍は民衆を使って溝を掘らせたため、センゲリンチン軍の騎兵は溝を越えることができなかったのである。
一方、捻軍の騎兵は馬を下りて歩兵となってセンゲリンチン軍に襲いかかったため、7千人(一説には9千人)の清軍は壊滅して内閣学士の全順・総兵の何建鰲・額爾経厄が戦死した。センゲリンチンと少数の騎兵は翌日夜に北京を目指して逃れたが、呉家店の森林で捻軍の兵士に発見され殺害された。