鬼大城の墓
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外観
遺物
- 石棺10個
- 石灰岩製寄棟厨子4個
- 石灰岩製入母屋式厨子2個
- 素焼寄棟式厨子
- 素焼製厨子
- セメント製寄棟式厨子
- 大小甕型厨子23個
- 甕片の山
これらの遺物には年代、家系が詳しく書かれており、調査資料になっている。また、甕片は1か所にまとめられており、何らの形で墓の内部が荒らされている形跡がある。
歴史
第一尚氏の尚泰久王・尚徳王の時代に王の側近として活躍した大城賢勇は、数々の武勇から「鬼大城」という異名で呼ばれているが、1469年に王の重臣であった金丸(後の尚円王)のクーデターにより第二尚氏王統が成立すると、大城は新たに即位した尚円王とは折り合いが付かなかった。その後、尚円王は大城が城下宮里村石城の娘を妾にしたことを不品行であるとして大軍を送ると、それを事前に察知した大城は知花城の洞穴に逃れるが、王府軍に探知されて洞窟の中で火攻めの末に自刃した。そのときに逃れた洞穴が現・鬼大城の墓といわれている。
また一説によれば、尚円革命の際に第二尚氏に反対する大臣達が反旗を翻し、大城が首謀者として戦うが、王府軍に敗北して現・鬼大城の墓である洞穴で自刃したという説もある。
