鯱和三郎
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初土俵・新入幕は寛政9年(1797年)10月場所。文化元年(1804年)3月場所を以て引退。
寛政12年(1800年)10月場所初日、東幕下3枚目(現在なら十両に相当)の地位で44連勝中だった西大関雷電爲右エ門と対戦、立ち合う前から勝負あったと観客も帰りじたくをはじめたほどだったというこの一番に勝利する。西方の第一人者雷電に対するこの「大銀星」はまた、東方を独占する久留米藩抱えの力士たちにとって、総帥小野川喜三郎以来の悲願の一勝でもあった。
その後は幕内と幕下を行き来しながら現役を終えることになり、雷電に勝った一番だけで相撲史に名をとどめたと言える力士である。雷電戦通算は1勝3敗。
44連勝は雷電の最多連勝記録であり、この一敗をはさんで柏戸宗五郎 (大関)に敗れるまで36連勝があり、これに勝っていれば81連勝に達していた。雷電にとっては本場所で喫した10敗の中でも、痛恨の黒星だったことになる。