正徳3年(1714年)、福岡藩大老黒田一利の子として生まれる。享保19年(1734年)5月、父一利が隠居し家督と知行1万6205石を相続、9月に通称を「源左衛門」から「美作」に改める。
宝暦4年(1754年)5月、先年の家老吉田保年失脚が一誠の讒言によるとされ、藩主継高より隠居を命じられた。その背景には、藩政改革を進めた吉田保年と継高の寵臣郡英成の対立があった。一誠は隠居領800石を与えられ、通称を「三左衛門」に改め、のち「適斉」と号した。家督は、嫡男の玉松(一興)が相続した。
天明7年(1787年)5月2日死去。享年74。