『唐会要』に「以二月為歳首。稻歳再熟」とあり、唐代にはチャンパに早稲があることは知られていた。北宋時代には既に現在の福建省でわずかながら栽培されていた。大中祥符5年(1012年)、当時の真宗の命により江南地方へ移植され、後に現地種との交配も進められた。長雨に弱い反面旱害に強く、手間があまり掛からずに短期間で収穫可能な占城稲の普及は、江南以南の地域における二毛作や二期作が進展する一助となり、農業生産を増加させた。この種が普及したため、長江下流の江浙地方が米作の中心地となり、「蘇湖(江浙)熟すれば天下足る」と言われるようになった[1]。