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寶心寺

岐阜県中津川市付知町にある高野山真言宗の寺院 From Wikipedia, the free encyclopedia

寶心寺(ほうしんじ)は岐阜県中津川市付知町にある高野山真言宗の寺院。山号は藤戸山。

所在地 岐阜県中津川市付知町寺山7096
位置 北緯35度38分36.4秒 東経137度25分52.8秒
山号 藤戸山
概要 寶心寺, 所在地 ...
寶心寺
所在地 岐阜県中津川市付知町寺山7096
位置 北緯35度38分36.4秒 東経137度25分52.8秒
山号 藤戸山
宗派 高野山真言宗
本尊 大日如来
創建年 鎌倉時代
中興年 昭和26年(1951年)
中興 光城
別称 さすり薬師
札所等 中部四十九薬師霊場三十六番
文化財 県指定:十六羅漢図
法人番号 8200005009315
寶心寺の位置(岐阜県内)
寶心寺
寶心寺
寶心寺 (岐阜県)
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歴史

鎌倉時代に建立された大威徳寺の末寺として付知村の虚空蔵山[1]の山頂に虚空蔵菩薩を本尊として開創された。

寺号は、真言宗の経典「般若理趣経」の第五段にある「三昧耶寶心」に由来すると伝えられた古刹であったが、

永禄12年(1569年)、苗木城主の遠山直廉は武田信玄より、飛騨国益田郡の領主三木自綱の弟で、武田氏から離反した三木次郎右衛門尉を攻めるように命じられたため、飛騨国益田郡に侵攻した際の大威徳寺の戦いや、

天正13年11月29日(1586年1月18日)に発生した天正地震により大威徳寺とともに大きな被害を受けて廃寺になったとみられる。

昭和25年(1950年)、付知町の篤信の有志が高野山金剛峰寺に再興を懇願したことで、高野山の管長猊下の命により、中興開山することとなった。

昭和26年(1951年)、山門の右手に本堂が完成し、光城和尚が招聘されて再興を果たした。

内陣の飾り付けは荘厳で、左右控えの間に設けた板戸に彩色画が施されているのは寺院としては稀である。

境内

薬師堂

厨子入りの薬師如来坐像は、服に菊花が刻まれており、兵庫県たつの市にある稲富山 圓融寺からもたらされたものである。

また薬師堂に安置されている霊石は、中興後に付近の住民が付知川で発見したもので、「瑠璃光さすり仏」として崇め、祈願すれば不思議な効験が得られるという。例年5月13日には霊石法要が行われ、真言密教秘伝の「ほうろく灸[2]」を授けている。

稲荷社

稲荷社は、弘法大師が本地垂迹した両部神道による信仰である。

稲荷大神は、伊勢神宮の外宮または、熊野三山の奥宮の玉置神社の三所権現とも言われる。

指定文化財

岐阜県指定有形文化財

  • 十六羅漢図 (16幅)

絹本 仏画寸法:長さ約1m、幅約43cm 指定年月日:昭和33年(1958年)7月16日

室町時代初期の画僧明兆作の十六羅漢図を有する。

明兆は宋・元の画風を研究し、肥痩のある墨線とやや暗い色調による力強い画風を確立し、多くの仏画や頂相を描いた。題材は釈迦の亡き後を託された十六人の弟子を描いたものである。

かつては、大阪府岸和田市の真言宗久米田寺所蔵であったが、所有者が転々とした末に寶心寺の寺宝となった。

脚注

参考文献

外部リンク

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